スクリーン横目にドラマから視線を外す

鬼滅の映画、観てきましたー。
(今回、内容関係ない記事ですが。汗)
子供の為にiMaxシアターにしたので、またもや3D酔いかも、
と視線をスクリーン外に外しました。

スクリーン横目に見つつも、天井とかスピーカーとか、
現実の水平位置を把握できるものを視界に入れておくと
3D酔いは回避出来る!
前回学んだのです!
(高い金払ってiMaxにしてるのに、何やってんだか)

どんなに3Dでグイングインやっても、どんなに画面が近くても
全くヘッチャラな子供たちは、やはりオンラインゲームで日頃から鍛えてるのでしょう。(笑)
感覚が私と違うんでしょうか。
画面さえ水平なら、宇宙空間に放り出されて体がグルグル回っても全然平気そう。

世代の違いが脳にもあるのか。
昭和産の脳みそは旧型に違いない。
私は宇宙に行けそうもありません。

一方で鬼滅の壮絶なヒューマンドラマが展開される中、
画面をちょっと外して観てる私は、「あ、これ映画なんだな」と認識しています。

ガチで真っ直ぐ見ると、画面にも酔うし、ストーリーの苦しさに入れ込んじゃって、
「こんなに追い詰められた状態で、どうやって状況が打開できるって言うんだ!!」
っていう絶望感から息苦しささえ感じ出します。

これって人生も一緒だな〜、と思いました。

ラファエルワークス北島氏のYoutubeや本をご存知でしょうか。

HPの一言。
https://www3.hp-ez.com/hp/raphaelworks/page1

映画で例えるならば、いま見えている現状(人生)は、心が投影した画像(今生のプログラミング通りの画像)で、私はスクリーン(大いなる存在)です。ですから、他のものから何も影響を受けないことが理解できました。そして、全ては満ち足りていました。足りないものなどなかったのです。もともと完璧だったのです

スクリーンから少し目線を外し、
「人生も映画なんだなー」
って思うと、頭の前面と後ろ面がベリベリって剥がれるというか、なんというか。。。(こんな感じ)

あと一息でなんか掴めそうだったんですが。
「自分がスクリーンなんだ」ってのが出来ませんでした。
スクリーンは見えちゃってるんで。

スクリーン(=現実と思っている虚構)から目を離している時っていつなのか?

寝てる時はスクリーンから目を離してますよね。
死んでる時も。

睡眠以外のほとんど、毎日17時間くらいは思考で忙しくしてて
「私」という嘘の自我枠で幻影観ている。

寝てる時は起きていて
起きている時は思考という夢の中にいる

映画館でもスクリーンの端っこへと最初に目線をズラすのが大変だった。
まず
・スクリーンに集中しすぎてるとスクリーン外に気づかないので、端っこを見つけられない
・スクリーンに没頭しているので、視線を外す行為自体が本能的にやりたくなくなる(freeze or flee状態)

これを現実に置き換えて、人生ドラマスクリーンから目を離せるのはどこなのか。

多分、体の中、内側。
しかもめっちゃリラックスした状態で。
実感を伴った内観こそが、嘘と虚像の思考状態から逃げられるベクトルだと思うんですよね〜。

今にいる
ってやつですね。

大病しても、トランプ関税がひっくり返っても、気候変動で米が不作でも。
家族がケンカしてても、子供がいう事聞かなくても。

常に内観への道だけは開かれているなぁと思います。
映画は「ベリベリ」って剥がれる鏡、一助なのかもしれません。


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