中央集権型合唱とブロックチェーン型合唱
アイリッシュコーラスのANUNAが来日しています。
来週は地元の音楽ホールに来るので、コンサート行ってきます!
楽しみ!
ANUNA来日ウェルカムパーティにも参加させてもらいました。
見るだけ参加!と思ってたんですが、
Danny Boyをご一緒させてもらい感激でした。
とにかく主要メンバーの一人一人が激うま。
ANUNAは作曲家のマイケルさんが中心人物ではあるものの、指揮者はいなく、ほぼ全曲アカペラです。
互いの息づかいを感じながら合わせていく合唱スタイルです。
歌の上手な人が最低限をカバーしてくれる中に参加させてもらうと、
ハートtoハートのコミュニケーションが起こり、
多幸感というか、
あれはなんだったんだろう、、
「ポ〜っ幸せ〜っ」ていう感じがありました(笑)。
禅で言ったら、完全に空のイマココにいたんじゃなかろーか。
それもこれも、みんなが「並列」だったからだと思うんですよね。
先日、地元の全小中PTAが集まるPTA文化祭がありました。
主にコーラスを披露する団体がほとんどです。
私はもうかれこれ10年以上、このPTAコーラスに関わっています。
今年は次男も卒業で、最後と思い伴奏を引き受けました。
米津玄師の「カイト」歌いました。
偶然同じ曲になった中学校があり、同じ曲な上に、
中学校にもお子さんが行ってる親御さんのメンバーも被るわ、
あちらは音楽の先生が指導者についてるわで、
どうしたって比較されちゃうなぁというプログラム順序でした。
結果として、如実に方向性の違いが出て、むしろ興味深かったです。
指揮者が中心に立ってリードする合唱は、
声の方向もまっすぐ、ホールの奥へ向かって行きます。
指揮者である中学校の先生はおじいちゃん先生で、みんなに愛されてる方です。
混声三声が力を合わせるとものすごい声量になり、
「大地讃頌」のような壮大な歌唱曲に仕上がりました。
曲の最後の歌い切りでも「ブラボーっ!」と声が上がります。
一方で、私が伴奏した小学校PTAコーラスは、指揮者はいるのですが、
指揮経験のない有志で引き受けてくれた保護者OBの男性。
指導者もいるのですが、やはり同じく保護者(ソプラノ歌手でもある)。
伴奏者は私。
という事で、主要メンバーはいるものの、
立場上の上下関係はなく、一点に集中する「センター」が不在です。
私が口を酸っぱくクリックからずれないよう皆んなに徹底したせいで、
歌ってる全員が拠り所としてるのは、指揮というより指揮を通してのクリック。。
ビート感を共有しながら、全員が「並列」の歌い方になりました。
指導者を中心に一点集中するスタイルを「中央集権型の合唱」としたら、
ビート感の共有、または息づかいを頼りに合わせるスタイルは「ブロックチェーン型の合唱」と言えるかな。
「ブロックチェーン型の合唱」もなかなか良かったと思ってます。
お客さんを圧倒するような感じではないですが、
演奏後の爽やかさと暖かさ、共有感があると思います。
声の方向性も、客席奥に向かうというよりは
ステージの周りをボワっとおおう感じでした。
私がやりたいスタイルはこっちかな〜。
自分のブログだから言っちゃいますが、
こっちの方が新しいよね。
米津玄師の曲なのに、中央集権型で大地讃頌になっちゃうって、
ちょーっと古すぎ。。(シーっこれは秘密!)
とはいえ、それぞれメリットデメリットがあると思います。
中央集権型は、とにかく指揮者がいて迷いがないから上達も早いし、
結果的にはまとまった素晴らしい合唱になると思います。
デメリットは、指導者によっては落伍者が明確に出やすい事でしょうか。
直列型なので、うまい下手、一軍二軍が必然的に発生するんでしょうね。
ブロックチェーン型の合唱のデメリットは、
船頭が多すぎて船が山に登っちゃいそうでダラダラすること、
足を引っ張ったり牽制しあっちゃうパターンがある事ですね。
また数名の主要メンバーに責任がのしかかるので、
放っておくとその人たちの独壇場になる事も多いかと思います。
みんなが平等の方が人間関係が難しいですよね。
それぞれの人がそれぞれの人を尊重する心を持ち、
とにかく感謝の心を忘れない。
まずは己の研鑽に励み、
その上でハートtoハートで声を合わせる。
分析やテンポの拠り所には客観的なツール(機械)を使う。
こういった各人の自律性と、全体の客観性が必要だなぁと思います。
要は大人にならなきゃね、って事ですね。
そんな分析をつらつらしてみました。
興味なかった方はすみません。
ではでは