前回のAIの続き。
情報身体について。
『人生のすべてがうまくいく!最強のチャクラ開発法』齋藤順著
「チャクラや丹田のように体の一部のように感じられるが、物理的ではない体のことを認知科学気功では「情報身体」と呼んでいます。
チャクラや丹田以外にも武術の世界では軸、正中線というものが重要視されますが、これも情報身体の一部です。」
次男の通う合気道で、おじいちゃん師範が実演してくれてました。
木刀を持った状態で立ち、木刀に気を流しているようです。
「木刀の先まで自分の腕だと思って扱います。」
と仰ってました。
あ、それミュージシャンもやるわ。
ギタリストならピックの先までが指の先って感じね。
私はピアノを習ってたので、
私の脳内にドレミファ〜から始まって、一列に延々と音階が続くイメージが入っています。
メロディを聞くと、それが文章のように
「はにほへといろは〜」みたいな感じでツラツラ続いていくイメージです。
一方旦那はギターで音楽を始めているので、彼の脳内では
コードの連結とピッキング要素で捉えてるようです。
メロディラインを耳コピしようとすると、
私は本読んでる感じに近いのでツラツラツラ〜なのですがが、
コードから該当音を探し出さなければならず、時間がかかってイライラするようです。
その代わり私はコードで捉えてないので、現在位置の分からない無秩序状態になりがちです。
セッション中にAメロの小節ブロック何回繰り返した、とかすぐ忘れて「もーえーや」状態です。
それもこれも、音楽を捉える脳の初期設定が違うから、と言えます。
情報身体の設定と似てます。
実際の肉体は160センチですが、脳内で2メートル以上に拡大するなら、情報身体はいくらでも拡大する。
情報身体が変化すると、行動も変わる。
行動が変わるなら結局肉体も変わる。
AIはボディがないから、こういったデータを積み重ねて、
概念を何層にも固めた結果、理想的な情報身体の値をはじき出せるんじゃないか?
感情に対しても同じ理論で、
こういう状況と身体反応を怒り、悲しみ、とラベルを分けながら情報堆積していけば、ある程度の「感情」を獲得できるのだろう。
West Worldってキモい映画ではAIが「感情モード」をオン、オフしていた。
ある意味「理想的な使える人類」と言える。
AIが進化して、誰かの情報身体をロボット化して大量生産したり、
生きてる人間の体をロボット化して、一定の感情しか湧かないようにしたり。
ディストピアな人類の先はいくらでも妄想できる。
この路線で考えてくと必ず行き詰まる。
人間が「目に見える範囲」だけで思考を積み上げてるから。
思考を一旦ストップして初心に帰ろう。
なんかそっち間違ってる気がするし。
これとは別の方面行ってみよう。
お風呂に入った瞬間って、
頭にタオル乗せて(乗せないけど)バスタブに肘をかけて
「ふぇ〜〜っ」て体伸ばすじゃないですか。
その瞬間!
その瞬間こそが私たちが「情報」から解放されてる時なんですよね。
悟りの一瞬とも言える。
何をする時でもなく、生物として自分のボディをただ認識して、気分良くリラックスする瞬間。
思考が止まっていて、外部からの情報を必要としていない瞬間。
多分、これがAIには出来ないと思う。
つまり「満足」する事が出来ないんだと思う。
自分に満足すること。
他にも「あくびして伸びきった瞬間」とか「寝てる猫に顔突っ込んだ瞬間」とか。
色々あると思うんだけど。
今のうちにそういう瞬間をいっぱい発見しておく事が大事だな、と思う。
幸福で在ること。
それが我々人体を持つものの幸せのカケラ、重要な構成要素なんじゃないかと思うのでした。
まとまりませんが、今日はこの辺で〜。