7-7-7:人間は、どれだけオリに入れないかだ


現在子猫2匹の面倒を見てます。
オスメスそれぞれケージに入れてるのですが、今朝も朝から
「いーかげん出せ〜」とガタゴト起こされ目覚めました。
その時クリアに閃いたのは「人間は、どれだけオリに入れないかだ」っていう事でした。
オスの方はペットショップ育ちなので、
最初ケージの扉を開いても、人間が抱っこして引き上げてくれるまで扉で待ってました。
また、ケージを閉じられてしまうとどう足掻いても出られないと分かっているらしく、
ケージにしまわれてしまうと、出してもらえるまでは結構おとなしくボーッとしてます。
メスの方は里親さんが兄弟で育てたのですが、やはり最初はケージで育てられてたので、
ケージの中では安心して寝てるところがあります。
ケージに入ってくれると管理しやすいよなぁ、と今朝しみじみ思いました。
そして人間は色んなケージに何重にも何重にも入れられて育ってるんだなぁと思ったのでした。
本来ケージはなくても猫同士のルールは猫の本能にあるのでなんの問題もないんですが。
「すでに本能にルールが入ってる」ていうのがミソですよね。
怪しさ満載?中山康直さんですが、臨死体験の対談で興味深い事を話されていました。

プレアデスのアルシオーネという星に転生した際の話だそうですが、
そこでは文明が十分に進んでいるので、もう不慮の事故とか病気とかで「志なかばで早死に」してしまう事がない、との事。
そうなると、死という概念が地球とは全然変わってくる。
志なかばでの不慮の死亡がないわけだから、死ぬという事は逆に
「こころざしを完了して、もう人生を終えて良い」と本人が「ゴールに達した」お祝いイベントという事になるのです。
その流れで「人生で命より大事なことあるだろ?」とか言われます。
え、命より大事なものってあるの!?
死ぬことはこころざしを達成したお祝い、という前提で行くと、
こころざしを達成しない、ゴールに対して何もコミットしないで
健康や安全、安定にばかり時間を浪費して生きているのは無駄だっつー事になるのでした。
魂の中に、その人それぞれの目標値というものはすでに埋め込まれている。
それを達成する事に人生費やせよ、という話でした。
なるほどねー。
そんな事を思い返しつつ、この子猫たちはケージに入れられて安心だから文句も言わないけど、
人間の子供にとっては学校も大きなケージだし(預けて安心)
会社もケージ。
ゲームもケージですよね。
失業するかも
艱難辛苦を味わうかもと言う不安
死への不安
と言う最大のケージから解放されていく時、
人間本来が持つ
向上心、親切心、探究心がどのように開いていくか、が重要なんでしょうね。
日本人には親切遺伝子って言うのが多いらしいから、なおのこと重要かもしれません。
噛み癖があったオスの子猫も、この数日で大分成長して甘噛みが出来る様になってきました。
ひたすらメスを追いかけ回して、お尻にかじりついてたのが、
チョイチョイと足でちょっかいを出し「遊びましょ」と誘う行為をする瞬間も出てきました。
これらはケージに入れて別々にしてたら学ばなかった事でした。
猫同士で猫本来の学びを得たようです。
まぁ最初は本当大変だったんですけど。
7/7 の朝7時にふと「人間は、どれだけオリに入れないかだ」と言う言葉を閃いて、こんな内容が頭にクリアに現れたのでメモしておきました。