瞳孔の奥から覗いてくる存在


自分の顔を鏡に映すと、
瞳の真ん中に瞳孔があり、
瞳孔の奥は真っ暗で、水晶体の奥に網膜があるのだろうと思う。
穴の奥をよく見る。
左なら左の目の奥だけをじっと見る。
1分、5分、10分、、。
穴の奥に何かがいるのが分かる。
穴の向こうから私を見ている「何か」がいる。
その「何か」は、
前世来世という時を超えて、
今の私の人生を見ている。
楽しい人生、悲惨な人生、絶望や享楽、傲慢な言動、、
色々な人生の局面を、
その「何か」はどんな状態から見ているのか。
その「何か」は楽しんでいるか。
絶望しているか。
その「何か」は肉体から出られなく、肉体と同化した「閉じ込められた存在」なのか。
その「何か」は宇宙のソースから派遣されて、興味を持って自分の人生を覗き込んでいる、自由な存在なのか。
なんとなくソワソワして、鏡に映る自分の瞳の奥を見続けるのを止めてしまう。
それが自分の本質、魂だから。
マインド理解の範囲を超えた存在だから。
もうちょっと、今の人生ゲームに没頭してたいのよね。
さて、トランスジェンダーのアスリートのニュースをたまに聞きます。
常々不思議なのは、西欧の文化では、なんでトランスジェンダーは普通に理解できるのに、
輪廻転生はマユツバ扱いなのだろうって事です。
心は女性で、体が男性。
体と心が合致してない事は自然に受け取れてるのよね。
心の中にも潜在と顕在とがあり、潜在の方は何やら人類共同でもっているデータがある、、て、
そこまで分かっていて、「死んだら肉体と一緒に心も消える」て、なんだか逆に不自然だと思わないのかな。
大学のゼミでお世話になった先生は、カミングアウトしている男性で、
マイノリティの視点から世間を捉え直す実践ワークを多く課題に出されました。
ディズニーランドに行って「この施設では何が共通概念としてまかり通っているか」とか、
靖国神社の遊就館と九段下の昭和館行って、施設が作られた「視点の違い」から気づいた事をレポートして来い、とか。
女子大生一人で遊就館行って、質問したりするのちょっと勇気要りました。
数人のゼミで、世間と全く違う視点から事象を紐解いてくカルチャーショックなゼミでした。
おかげで、私の中で「トランスジェンダー」と聞くと、知的な「クリティカルシンキング」と結びついてるのだけど。。
ゴシップ風のニュース見る度に、理解度の低さにゲンナリします。
この先生は雰囲気は女性的だったけれど、理論的にガッチリ決めてく性格はかなり男性的だったように思います。
そして性を下品に強調する事もありませんでした。
本人が本人の視点で、本人やってるだけなのよね。
筋肉増強剤とか、派手にスリット入ったスカートとか、外側の性を「フィックス」する事って、、
なんだかこの先生から教わった事と真逆だなぁと思うのでした。
トランスジェンダーの人はそんな風に世間に捉えられたいのだろうか。
トランスジェンダーが流行りだよ、ってメディアが印象操作してるだけに感じます。
これからそういった歌や映画が出てきたりするかもですが、影響受けやすいティーンエイジャーには特に留意したいところです。
もうちょっと根本的なところまで理解しないと。
ジェンダーレストイレも必要なんだろうか。
心と体は別モノなので、そんでもってトイレって体に付随した事よね。
だったらトイレは肉体通りの男女別でいいんじゃないの?
とにかく生命や魂に対しての理解度の低さを、メディアがいいように操作してるように思えてバカバカしく感じます。
まずは瞳の奥の何モノかを見つめたらどうだろうか。
瞳の奥の何モノかに沿った言動を積み上げていく毎日こそ、トランスジェンダーかと思うのでした。