シンドラーのリストって映画がありましたね。
ナチス時代に、ドイツ人実業家が千人以上のユダヤ人の命を救った話ですね。
同じような事をしていた当時の日本人で杉浦千畝さんの言葉も有名です。
「大したことをしたわけではない。当然のことをしただけです。」
しかし、これ。
今生生きてる人たちは、みんなもう同じ地点まで来てます。
それが現状だと思います。
ほとんどの人が最低10回以上は転生しています。
過去に戦争やら飢餓やら、人身売買やら、奴隷やら暴力やら
苦行、生き地獄、自殺他殺、呪い、恨みつらみ、兄弟血みどろの喧嘩、難問
などなどを人生ドラマとして経験しています。
そしてその時、最善の選択を出来なかった事が、、、
ほとんど。
最善の選択が出来ていたのだったら、もう同じ問題は経験する必要はないので。
例えば、天災のあった時代に自分の娘を口減らしに売ったとか、
実はスパイやってて身近な人を裏切ってたとか、
いじめられてる人を保身のためにあえて見過ごしたとか。
そんな事を何回も何回も、何万回もやって来てるのです。
で、毎回「あー、あの時、自分の信念に従っていたらなぁ」とか
魂になって振り返るわけです。
そして死ぬたび地球に戻るものの、結局毎回忘れているのです。
暴力vs平和と言う二元論実験は、集合意識的にはもう終わりの時代に入っています。
何度も繰り返してきたこのテーマに、うんざりしてすでに乗り越えた地点にいる人がほとんどです。
そこは「暴力」か「平和」かの2択ではなく、
輪廻転生を俯瞰した地点から見れば、
問題の核心はただ
「自分はどういうスタンスだったのか」
と言う事に絞られます。
死んだ後振り返って、自分の在りように納得いくのかどうか。
それが見えれば
「大したことをしたわけではない。当然のことをしただけです。」
になるのだと思います。
今生で地球にやってきてる人たちは、恐怖から選択する事を
もうくり返さないポイントまで来てしまっています。
にも関わらず未だに恐怖からの一択を続けていれば、今度は具合が悪くなると思います。
みんなこの地点まで来てしまってるから「覚醒が近い」とか言われてるんでしょう。
コロナやらワクチンやらオリンピックやら家庭内暴力やらトランスジェンダーやら、、
全ての問題は
「自分はどういうスタンスだったのか」
と言う事に絞られるでしょう。