新年明けましておめでとうございます。
いつもブログ見て下さってありがとうございます。
この霊視サービス、何かの流れに乗っかって始まりました。
変人覚悟のyou-tube動画アップでしたが、意外にも多くの方にご好評、応援いただき、
こんな無茶苦茶なやり方ですが、人の役に立てるのだなぁと嬉しい経験をさせて頂きました。
今年はより一層流れに乗って、楽しみながらやっていこうと思います。
さてさて去年は鬼滅の刃が大フィーバーの中、終わりましたね~。
最終巻もハンパなかったっす!(オタク)
この世にボディを受けた皆に共通して、ある種の「引っ掛け問題」が出されている事に、
ずいぶん前に気づいた事があります。
それは、大げさに言うと「他人の為に死ねるか」です。
死ぬ、とか行き過ぎですね、、
切腹する!というのもおかしな話で、
また自己犠牲の精神、というのとは完全に違います。(そこの違いはまた今度)
肉体を持っていると「痛い」とか「逃げたい」「欲求を満たしたい」とかなりますよね。
一方で、肉体をコントロールしている「意識」は、さらなる霊性向上を目指してます。
意識にとって、肉体って邪魔じゃないかしら。。?
つまり、肉体を持っているという事は、
肉体の生存本能すら犠牲にできる「愛の強さ=光を表現する」という「引っ掛け問題」を出されている
という事なんじゃないでしょうか。
自分の体が痛い、とか、自分が苦しさから解放されたい、とかからではなく、
自分の苦しさや痛みを犠牲にしても、愛のためにその意思を貫けるかどうか、というテストが、
肉体を持っているという事なのだと思います。
そのテストをすでにパスしているような存在たち、天使や5次元存在などは、肉体を持つ必要がもうない、という事になんじゃなかろーか。
肉体をないがしろにしてでも根性鍛えよう!と言ってる訳では無いです^ ^!
肉体は地球から出来ているので、肉体の言う事もちゃんと聞いて、感謝をもって休ませてあげようと思っています。
ただ、なぜ高次元の存在になるほど肉体が要らないのかと言うと、そういう「引っ掛け問題」がもう必要ないからなんだ、という事に気付きました。
鬼滅の刃でもその事が描かれていて、まぁ自己犠牲や全体主義ってのは間違っているんですが、
「恐怖より愛」の選択を出来るかどうかが、結局引っ掛け問題なんだろうな~、と改めて思いました。
自分にとって当たり前の「愛の選択」を貫く。
出来るかしら~??
死の恐怖さえ超える。
実は死ぬ時ドーパミンとか出まくって、それほど苦しくなくいけるんじゃなかろーか。
そこ期待しておこうっと。
ではでは
今年もよろしくお願いいたします。