捨てる事とネクストジェネレーションの輝き


旦那が仕事先で大量の遺品を頂いて来まして。
私からしてみたら、誰のか分からん男物の靴やら服やらが
毎日掃除してる玄関周りにドチャーって目の前にあり、
毎日毎朝ウンザリして段々気力もなくなって来たわけよ。(愚痴)
前回書きましたが

男性はハンターのように望遠鏡で前方を探し回る、レーダーのようなセンサー。
女性はテントの中の全てを把握して、生活が快適であるよう、部屋全体を感知するセンサー。

私の女性的センサーに何してくれてんじゃいっ。
まぁ、怒り続けても疲労するんで内観しました。
テーマ:遺品とは何か
もし長男がいきなり交通事故に遭って帰らなかったら。
ショックでフリーズするだろうな。
今この時点でぐっちゃらけの奴の部屋。
塾のテキストと学校のテキストがめちゃくちゃに床に散乱しているのを見るたびに思う事がある。
でももし彼がいなくなったら、
こんなテキストも、バシバシ全消去するのはいささか私だって躊躇うだろう。
彼の持ち物全てを捨てたら、彼がいなかった事になってしまうような気がするかもしれない。
役に立ててくれる人に譲りたい、とか思うかもしれない。
でもねー。
貰った人にはそんな思いは関係ない。
自分にとって不要だと思うなら不要として手放すまでだ。
身内だけが重い思いでおもいおもい。一杯だ。
縛られて拘束されている。
苦しいと思う。
内観して光を探すと
ash to ash
と来た。
灰は灰に還る
このルールは変わらない。
その日は、たまたま若い人と会う機会があり、
母からの依存を受けて育ち
母を捨てられない、
という話になった。
(具体的には全然違うんですが、私が感じたエネルギー的には。。)
同時期にこういう話がやって来るんだから面白い。
依存して来る人に巻き込まれるのは、
その依存に反応してしまうからなのだろう。
そのように育てられたんだから当然だ。
元は優しさから始まってるシナリオで、誰が悪い訳でもない。
共依存って言葉が心理学的にすごくネガティブに描かれるのもちょっと酷いなと思う。
ただ、そう言う相手は
捨てられないから
「このくらい無神経な事やっても大丈夫だよね?」と来る。
または「よろしくお願いね。代わりにやってね。」と来る。
要らんちゅーてんのにグイグイ来る人には、
残念ながら物理的な距離を取るっきゃないですね。
不思議な事に、距離を取れる時期に来ている、って時は、
他にもサポートしてくれる人が隣に来てくれた。とか
一人で生きていけるようになった。
という「もう捨てる力があるよ」っていうサインのようだ。
でも手放すのが怖いって言うのは、やはり内観。。
っていうか私にはそれしか言えんし。
腹に手を当てて、怖さが全身を襲うなら襲われるに身を任せて
「ガタガタガタガタっ!ブルブルブルブルっ!怖いっっ!」
て言うだけです。
マジ辛いと思いますが。
死なないんで大丈夫です。
できれば隣に「怖いね」って一緒にいてくれる人がいると良いですけどね。
ちゃんと表現しないといつまでも体の中に残り続けるし、
そうするとまた依存して来る人を引き寄せる。
そしてまた捨てられない、
のループに入る。
辛いけど数時間やっていれば段々薄れていくので。
そこに向き合う事が一番近道だろう、と言うのが私の持論です。
1回じゃ無理かもだけど。
捨てられないのが悪い事ってのも思い込みなのだけど、
でも神視点で見るなら、全ては
ash to ash
結局は自分も他人も死に還る。
その人生の中で、何を経験しているかが
持ち帰るモノなのだと思う。
そんでもって、ここからが重要なんだけど、
これからの時代はみんな
「モノを持たない、縛られない」時代になるので、
むしろその分、
自分の能力を全開に、やりたい放題やって、自信を持って
「個性を楽しもう!」って言うのが
ネクストジェネレーションでしょうか。
「母を捨てられない」って言ってた若人も(実際にはそうは言ってないんだけど)
すでにネクストジェネレーションの輝きを見せていました。
楽しみだな!