両親共にミュージシャンなのに、息子たちはたいして音楽やってない。
しかし息子の周囲には自分で作曲したり演奏したりする子がいて、息子を通して質問してきたりデータを送ってくれたりする。
先日は夕飯の時に「先輩が歌詞ってどうやって作るの?だって〜」と長男が言ってきた。
作詞か。。
完全なる独学。
人に教えられるものなんぞ1ミリも持ち合わせていない。
いろんなタイプがいる。
作詞を先に終わらせて、鼻歌歌いながらメロディーにしてた人。
これはやはりフォークソング的になっていた。
末尾の母音を伸ばした先の子音から次の行を書く、とかルール作ってる人。(歌いやすくなる)
私が自己流でやってて思い至るのは、
作曲だけをミックスレベルまで完パケしてしまうと、詞の方が表面的で嘘っぽくなるって事。
夢を見終わった瞬間のボヤ〜っとした感じ。
あれをあのまんまキープしたいのだ。
ボヤけたものはなるべくボヤけたまま、フレッシュに言葉にしたいのだ。
コアになる言葉だけが燦々と光って見えて、
それを説明する言葉は後からなんかくっつけて帳尻を合わせたりしてる。
作品にしたい「メインテーマ」が抽象的であればあるほど、自分の本質に繋がっていく。
作品のメインテーマが抽象的であれば、その時ヒップホップが流行ろうがメタルが流行ろうが、
表面的にはどんな「スタイル」を装ったって構わない。
以前、大好きだったBoom Boom Satelitesのインタビュー記事で
「表現したいのはダンスミュージックじゃなくて、ダンスフロアのその時代のエッセンス」と言っていて「分かる!」と思ってしまった。
ダンスミュージックじゃなくて、ダンスフロアに巻き起こってるエネルギーの事を言っていたのだと思う。
抽象度を上げて、そこをガツっと「キャッチ!」するのがキモなんだよね。
詳細や見栄えや成果は、後からついてくるから一旦どーでもいいのよ。
抽象的である一方「掴んだぞ〜、これを表現するぞ〜!」って気持ちはもはや執着に近いような、信念みたいな、すごく強いパワーになる。
それが創作なんよ。
そしてそうやって作られたものは、自分の本質、真実への道なのよ。
人真似では終わらなくなる。
ブレなくなるのよ。
って事を長男に伝えてみたんだけど。
まぁ伝わらないだろなぁ。
ちょっと話ズレますが、先日から日本ケイシーセンター光田氏の動画にハマりまして。
この方、美しいですよね〜。(おじさんですが)
うっとりです。
アジャシャンティを動画で見た時と同じ衝撃が走りました。
キラキラ仏陀レベルですよ。
なんですかこの雑味ゼロの笑顔は。
内容もすごいんだけど、この人の顔見てるだけでスッキリするっていうか。
惚れ惚れします。
興味深かったのは「霊的理想に沿って歩む」という話。
まず最初に霊的理想を見つけなさい、と。
光田氏の理想は最初「エドガーケイシーの福音を伝えて歩く」だったそうです。
しかし、それだと犬の散歩中とか、自分が一人の時には実行できない。
24時間365日、霊的理想から離れない、全ての人生時間は霊的理想に沿って歩む、と言うのが目標な訳です。
そうすれば、全人生が霊的理想にバックアップされた行動になる。
で、一つ抽象度を上げて
「存在している事が希望である、存在している事が喜びである」
という霊的理想に変えたそうです。
はい。
もうお顔を見れば分かります。
そのように生きていらっしゃると思います。
抽象度が上がれば上がるほど、本質に近づいて、なおかつパワフル!強力になってるのです。
24時間365日実行できるから、全ての指針になるのです。
抽象的な方が弱っちいように科学的には思いますが、
人間の精神には逆に作用するんだと思います。
抽象的な方がパワフルな信念になり、折れにくくなる。
へこたれないし、他人が気にならなくなる。
先月からAIイラストを色々と試していますが、分かってきた事として、
やはり「AIはデータの集積でしかない」と言う事です。
人間の発想、アイデア、意欲、それらは抽象的な何かに向かって
身のうちから湧き出るエネルギーの表れです。
データを蓄積整理して利用するのは、大変有効ですが、
そのデータは湧き出たエネルギーの「結果」でしかないんです。
AIは大いに利用すれば良いと思う一方、
これからの世の中がAIに飲み込まれないためには、
この「抽象度を高くする」っていう事が本当に本当に重要なんだと思います。
抽象的である事の大事さを、今一度世間で認識すべきだな〜と思うのでした。
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