小学校、勘違いスタート


お誕生日でした。
44歳ゾロ目になりました〜。
お陰様でございます。
家族にも皆様にもこの世界にも、なんにもかんにもありがとうございます。
でも何に一番ありがとうって、やっぱり44年も頑張ってる自分のボディですね。
腰椎ヘルニア持ちですが、日々、左足の感覚が痺れたりしてます。
ガイドさんに聞いてみました。
ガ:左足はずいぶん前からSOSを出していたよ。
ずっと座ってるから圧迫されて血が来ない、神経も擦り切れてしまう!ってね。
小学校の頃からだ。
ピアノの練習をしていた時も。
私:パソコン作業してて無視し続けて来たなぁ。
頭ばかり使うし、オフィスであんまりフラフラ動くのも憚れるし。
そういえば、小学校の運動会でリレーの選手になった時、
「なんでもっと足って動かないんだ。
あの子はあんなに早く走って頑張ってるのに。
もっと動け!もっと動け!って。
「動かせてない自分は意思力が足りない」みたいな事考えてたなぁ。。
それで、そういう焦りみたいのって全部利き足、利き手にいっちゃうんだよね。(左利き)
ガ:地球人はみな、体が自分だと勘違いする。
時間空間どこにでも自由にいられる魂が、3次元の制約を受けるボディに「間借り」して、
そこで得られる経験をしている。
ボディは必死に魂の言う通り動いている。
子供の頃から「生き残り」をかけた優劣戦争の学校社会に放り込まれ、
そして「ボディを人より動かせていない」という劣等感を味わっている。
私:リレーの選手に選ばれるくらい速かったんだから十分だったと思うけどね。
劣等感って、、おいしーの?(笑)
ガ:原因は何か。
「体=自分」という錯覚だ。
我、エゴ、体。
「我」が魂と分離して暴走するので、すべての苦しみが始まる。
別に悪いことではない。
苦しみを悪と認識するのもまた人間の「我」だ。
私:楽しい牢獄(ボディ)とでも思ってたらいいのかな。
ガ:肉体もまた神だ。
肉体は神の社だ。
牢獄のように扱っているのは「我」が働くからだ。
肉体を神として祀り、感謝を捧げる事もできる。
なぜそうしないのか?
と言うことでした。
小学校の頃から、自分で自分のボディをいじめる「我」が育っているんですね。
そして、この気づきをもって中3の長男と話していると、面白いなぁという事がボロボロあって、、
次回書いてみたいと思います。