私たちが生まれた世界では
「男と女がいたらくっつくもんだ」という前提で動いている。
中学生みたいな視野の狭さだけど。
その方が商品が売れるから。
私たちの生まれた世界では、
身なりのキチッとした人の方が、
だらしなくて役に立たなそうな人より「良い」という前提で動いている。
外側ばかり追うようにした方が、商品売れるから。
私たちの生まれた世界では、
お金がなければ生きられない、
生産性がなければ生きる理由がない前提で動いている。
自分は十分でない、価値がないって思わせてる方が、商品売れるから。
この世界の全ての概念の一つ一つが
「意図的に」操作されて、魂の完全性を思い出す事を妨げるように出来ている。
いかにもバレバレな支配者がいて、愛の泉である命の完全性を思い出すためのレッスンになっている。
そこで、全員が裸にひん剥かれるような状況を考えてみる。
震災とか起きて極限状態の時。
お腹が空いて、持ち物も食べ物もなく、飢え死にしそうな時。
震災前はあんな、こんなだった人がどう変わるだろうか。
賢さを武器にしてきた人は、人を騙すかもしれない。
だらしない人は、食べ物欲しいと暴れるかも。
善悪のブレーキ弱い人は人を殺そうとするだろうか。
自閉気味なら自死を選ぶだろう。
冷静になろう、とみんなで分ける人もいるだろうが、分けたところで満足いく量にはならない。
最初からあきらめる人もいるだろう。
自分はどのタイプになるかな?
んーむ。
私は人を騙そうとするかもしれない。
後は最初から諦める、かな。
街にいる人それぞれ、みんなどのタイプかな?と見てみる。
なにやっちゃうのかな?
意地悪な中、視点の上昇が起きてくる可能性がある。
聖人君子になるのは無理かもだけど、
高いコートを買うよりも、魂を磨く事の方が大事である事が、
腑に落ちてくる。
天国には、自分が選択した経験値以外持っていけない。
生まれた頃から「前提」にされてた条件は、
全部「まやかし」なんでした〜。