互いの認知をフェアに扱う+遅刻


高校時代遅刻193回しまして。
大学受験のための親子相談の日に、先生が「おまけ」と言って通知表から-100回してくれました。
ハハハー。
それでも93回。。
だって朝の30分は礼拝のお説教なんだもん。
正直、今でも「時間に間に合う事ってそんな大事?」てのがあります。
ナンセンスっていうか、やる事やれてりゃいーじゃん、みたいな。
でも今は遅刻しません。
遅刻厳禁なところに通わなかったり、リモート仕事してます。
次男が生まれる前、長男が小学生の時にピアノに通わせてました。
車で20分くらいの所だったので、毎週旦那が車を出してくれました。
前の生徒さんのレッスンが伸びる時も多く、逆に20分くらい待たされる事もあるし、
15:30からのレッスンなら15:10くらいに出れば良いかな、となんとなく私は思う一方。。
旦那はドライバーの仕事をしてた経験もあり、
「15:00には出ないとキチッと約束を守れない」と考える。
結果、15:00になって旦那がエンジンをかけても誰も玄関に集まらない。
長男も切り替え悪いタイプだから「行くぞ」と言ってもすぐ出てこない。
10分くらいになって慌てて楽譜探し出す始末。
イライライライラ
と、いう事で。
車内は怒りの大爆発。
20分くらいの乗車中ずっと旦那は怒り続け、私たち二人は身を小さくして
恐怖の怒り魔神(旦那)に20分間慄く事になるのでした。
って事が10年前。
毎週。
最後は一緒に車に乗ってらんねぇ、って事で。
家族で車に乗ることが無くなりました。(旅行も)
で、最近ようやくその話をきちんと致しまして。
私は電車通学通勤で育ったので、電車に関しては、結構「乗換ジョルダン」とか使って時間に間に合うように移動します。
電車に関しては、「何分前には出てたい」みたいな感覚を守ります。
一方、旦那は車メインで活動してきたので、
道の混雑状況なんかを把握しながら時間を設定しています。
彼の認知では車で20分の場所に行くのに20分前に出るのでは遅いのです。
10年経って、冷静に話し合った結果。
車の時間に関しては、旦那の時間感覚(認知)に合わせます。
電車に関しては、私の時間感覚(認知)に合わせましょう。
って事になりました。
なんで10年もこじらせたんだか。。
よーやくお互いの感情的わだかまりも解けたよーな。
そして、10年後の今、長男がどう育ったかというと。。
すでに遅刻が授業日数の3/4。
うーむ。
親として一応叱らない訳にはいかない。。
が、遅刻193回の私に説得力はない。
8:50スタートで自転車で20分で着く学校なのですよ。
だから8:30に出ると言っている。
でも見てると8:40に出ている。
実は8:50からは朝礼とか朝読書とかのミニイベントが10分間あるらしく、
「それは出席する必要がない」と心のどこかで思ってるんでしょうなぁ。
そもそも「20分で着くから」と8:30ピッタリに出る時間感覚も既に10分遅い。
認知が(一般と)ズレてる。
遅刻193回 -100回の母としては
「認知10分(一般と)ズレてるんだ、っていう事を腹の底から納得しない限り、遅刻癖が治る事ないよ。」と伝えました。
伝わったかは、、微妙。
そんでもって
「時間に間に合う事ってそんな大事?」
って疑問も、実は大事だと思うんですよね。
アドルフ・トフラーによると、

「学校」は良質の労働者を大量生産する「工場」の役目を果たした

その公共教育の真の目的は

・時間を守ること
・命令に従順なこと
・反復作業を嫌がらないこと

て事らしいですからね。
私の遅刻193回は、奴隷化教育への熱いレジスタンス精神の表れですよ!
(この動画面白かったです)

話がズレましたが、時間感覚も「認知」だと思うのです。
色彩感覚とか言葉の選択の感覚も「認知」でしょう。
セックスレスとかの回数も「認知」かもですね。
互いの認知を冷静に話し合って、
互いの認知を尊重し合えるなら、
膠着状態が前向きに動いていくかもね!
っていう「我が身を削った」(笑)イタイ実例でした。
ではでは〜