母が自転車事故にあって大怪我を負ってしまいました。
たまたま知人が知らせてくれて駆けつけてみると、5,6人の通行人が立ち止まっている足元で、頭からダクダクと血を流したまま道路に倒れている母がいました。
さっきまで平和に、幸福に夕飯作ってたのに、世界が一転。
そのまま救急車を呼び、警察が来て緊急入院となりました。
救急車の中でも血が止まらず、大量出血しながらもペラペラと喋り続ける母。
この市のアスファルトは滑り止めに大きな石を使ってるから当たると痛いんだ、とかもう訳の分からないことまで解説してました。
さすが母。
血が止まらないのもあり、ワクチンの有無を聞かれました。
4回目は7月に打ったけど、最近体の調子があちこち悪くて5回目はどうしようか迷ってるのよ〜〜
とまたペラペラ喋っていると、
イケメン救急隊員のお兄さんが
「ああ、打たない方がいいですよ」とサラッとおっしゃって度肝を抜かれました。
え!?
今なんて?
「4回目5回目のワクチンが始まってから、実際に亡くなる方が増えてます。
僕も仕事柄打たなければいけないんですが、やだなーと悩んでるところです。」
あちゃー。。
爆弾発言されちゃったよ。
医者はそんな事言わないだろうけど、現場で動いてる人はそう思ってるのか。
まぁ父は打っているのですが、母は5回目はやめようと思ったようでした。
今やそれどころじゃないし。
結局、クモ膜下出血疑いと坐骨、鎖骨の骨折で、退院後も自由に旅行できるか危ぶまれる状況。
ずっと除菌や3密を気にして旅行もせずにいた優等生な母にとって、残念な結果になってしまいました。だから娘は「社会的配慮なんかクソ食らえ」ってなっちゃうんですけどね。
私は自分自身へのハプニングや痛みには結構強い、メンタル強めの自覚があるのですが、
身内が痛い思いして苦しんでるの見ると、どうにもしようのない感情が湧き起こってやはり辛いです。
とはいえ、救急車にお供で乗るのは実はもう3回目。
夫が酔っ払って子供相手にサッカーしようとして、ボールにひっくり返って頭から血を流してた時も、
引きこもりの長男を外出させようと、無理やり近所のスーパーで牛乳を買うお遣い頼んだら、交差点事故にあって現場から電話かかってきた時も、
とにかく「なんとかしなきゃ」と思って、書類にサインしたり電話したりして事態の収拾をつけようとしました。
深夜の待合室で救急診療を待つ間に内観して、自分の内奥には気づいてました。
例えるなら、、深夜の森を散策して、森の奥の方に真っ暗なダムがあって、きっとダムの中には暗いひんやりした大量の水があるだろう、、みたいな感じ。
大きな悲しみでした。
内観したとは言え、仏になれる訳じゃありません。
出てくる感情は素直に、もうそのまんまガンガン出しちゃえ派です。
自分はイライラしてるんだ!っていうのを包み隠さず家族にぶちまけてるので、私は全く精神性の高い人間ではありません。
昨日もストレスマックスになっている自覚がありました。
内観してフォーカスしていくのに最適な順番ってのがあります。
今回はその順番を無視してしまったようでした。
悲しい、ヤバい、でも「私が」なんとかしなきゃ!
とテキパキ行動するあまり、
「ボーゼン・・・」という感情フリーズ段階を(自分に)スキップさせていたのでした。
ショック > ボーゼン > 悲しい > どうして > 後悔 > 自己ヒーリング > 気持ちの切り替え > 事態収拾に取り組む
本当はこんな流れが理想的でしょうか。
悲しい、一人で抱え込もうとする癖などは自己把握していたのですが、
ボーゼン、フリーズ、ショック、という時間的余裕は実際にありませんでした。
それに気がついて、昨夜は
「ボーゼンとする事を自分に許可しよう」
と決めました。
お風呂の後に、ただただボーゼン、、とフリーズしてみたら、
ようやくイライラが消えていました。
「悲しい」とか「後悔」とかは勿論残っているのですが、前のように「暗くて手に負えないほど大量のダムの水」ではなくなっていました。
光が差している感じです。
子供や親の介護をしている人で「なんとかしなきゃ」で乗り切ってる方は多いと思いますが、
自分に「ボーゼンとフリーズする許可」を与えてあげる事も大事なのかな、と思いました。
感情の自然な変化を、無理やり意志の力でねじ込めちゃうと、結局他の感情になって吹き出してしまう、という事ですかね。
それもしょうがない、生きてるんだから、って思います。