カメラが消える


明日KI+chorusの10月分出しまーす。
ルートチャクラから5分間根っこ伸ばそう、というワーク入れました。
5分間★ワークしてね。
そろそろハードモードですからね。
5分間Cだけ低音伸ばして、それに音楽ソフトでフィルターうんとこさかけまくってました。
モジュレーションたのすぃ〜〜♪
ただドーーーって伸ばしてるだけのmidiデータ。
こんなんですよ。

オーディオに変換してからフィルターかけりゃ良いのに、
アホだからそのままやってまして(気が付かなかった)。
フィルターのかかり具合を確認するのに、毎回「頭から」音出さないと確認出来ないワケ。
5分間を何度も何度も頭から・・アホか。
そんで「もじゅれ〜しょん!&エクスプレッション!」ってあれこれやってたら日が暮れまして。
気がついたら私一日中「ド」だけ聞いて過ごしちゃったじゃない。
なんか尾骶骨がジンジンしてボヤ〜っとしてますわ。
ルートチャクラばかり集中しすぎました。(汗)
そんな今日は気功教室でした。
すっかり全体のエネルギーが下半身に落ち着いてて、頭がシーンとしてました。
割と左脳の強い人間なので、いつも私という世界を「観察者」というカメラがあらゆるアングルで動き回って「判断」を下しているのですが、
今日はその「観察者」と言うカメラも手放すって決めたら、、出来ました。
対象があるんだけど、もはやそれを見るカメラもない、みたいな。
すると「私」と言う概念を作ってたものがシステム崩壊起こしたようで、
「ありのまま」現象が起きていると言う現状の真っ只中にいる?エネルギーの一部になりました。
とは言え今はまた元に戻ってますが。
「あー『ありのまま』ってこう言う事なんだ〜」
と腑に落ちました。
そんな風に「腑に落ちた」って判断するカメラすら無くなっちゃうので、
この言葉は元に戻ってから出てきた言葉ですね。
やはり段々「静けさ」の方が拡張してきてる気がします。
いずれにせよ楽しいです。
良いのかな、こんなんで(笑)
そうそう、最近のDTM(パソコンで作曲するソフト)はどんどんお手軽超ハイスペックで、
MTR時代から作曲してたオバチャンではビックリするくらい、
すんげ〜事がパパっとちょちょいと出来ちゃうんですよね。
それがまた楽しくて、プリセット重ねるだけで
「もうシンセプロじゃん〜」っていい気になってたら、
曲の初めから曲の終わりまで全開ゴージャスにし過ぎちゃいそうになりました。
いやいや私。
良く考えろ。
そもそもルートチャクラに意識を置くワークをしようと思って作り始めたじゃないか。
機械でアレコレが出来るからって、見た目の良さにホイホイ(機械に)乗せられちゃぁ
進路を見誤るってもんですよ。
初心に帰れ。
ってな訳で、フィルターやら過剰なリバーブやらを(これでも)泣く泣く排除していきました。
そういやビョークが昔リバーブ全部取っ払ってたな。
あの人ホント激しーよね。
下手でもいーんだ。
ワークに辿り着くのが私の今のゴールなんだから。
見栄え良くする事に囚われないよう。
て、
このバランスがキモなんだよね〜〜。