どうでも良いオタク談義


長年マンガレンタルでお世話になってきた近所のTSUTAYAが閉店する事になってしまい、
もうこれからどうやって日々を生きていけば良いのかと、本気で露頭に迷っております。
ネットマンガも読みますが、やっぱり紙のマンガが一番良いんだよ~!(泣)
最近は紙にペンで描く漫画家さんも少ないと思いますが、
線からPCで描くのと、用紙で描くのを下絵にするのでも、結構違い出てるよなぁ、と思います。
「線」って音と一緒で、強烈にエネルギーが載るものなんじゃなかろーか。
「ミステリと言うなかれ」の作者さんは、昔はマジックペンで描いてらっしゃいましたが、
少女漫画家としてはどーなんですか?って気もするんだけど、でもそのエネルギーが凄く良かったんだよなぁ。
でも描き直す度に全消去とか、ありえない作業量だし、ヒストリーバックは欠かせない。
マンガ愛好家としては、漫画家さんの体調が壊れないものであって欲しいと思います。
「小説家になろう」のラノベ原作は、ネット無料で読めますが、ランキングが上位になると出版される仕組みです。
ディレクターやら校正やら、装丁、イラストレーターやら色々入って、本屋さんに並び、商品として売られる訳です。
(出版業界まったく知らんのにすみません)
これがさらにボイスドラマとかになると声優さんもBGMも必要になり、
アニメになったり、ゲームなんかになったらさぁ大変。
キャラ組み直したり、音声必要になったり、放映するチャンネルも必要だろうし、、。
webで「一つのアイデア」として小説概念を公表してる時は「無料」。
でも、これを商品にする為にアイデアを練り、より上位の人(ディレクター)の意見を仰ぎ、
他にも見た目を整えて、販売のために色んな人が関わると、ものすごいお金が必要になってくる。
売れてもらわなきゃ困る。
最初は無料の「アイデア」だったものが、
携わる何人ものスタッフの「仕事」「作業」になってくる。
まぁ「チャンス」でもあるし、携わる人たち個々の能力がどんどん価値として積み上げられていく。
デビューしてた時はCD全国に置いてもらったりもしたし、、今更なんだけど、
なんだかこれってクリエイター側からは不思議な現象だよなぁ。
例えば、水は無料。
地球に最初からある。
これに名前をつけて、ペットボトルに入れ、砂漠とかで売れば高額商品になる。
スーパーで売ってるパック牛乳には金銭的価値があるけど、牛から直で絞った乳には金銭的価値がない。
牛にとっては自分のやれる事やってるだけなんだけど、携わった人たちにとってそれは「仕事」になる。
「アイデア」は直感。
直感は天から授かってるもの。
天から授かってるから、、無料?
うーん。
「金銭的価値」は、自然の物を人が「人工的に整えた」苦労代って考えてもいいですか?
物々交換時代は、もうちょっとナチュラルだったんじゃないかと思いますが。
最初から地球にあるもの、そのままのものの価値もきちんと分かってる視点が減ってくと、
今すでにあるものへの感謝の心も無くなって、
結局幸せが減っちゃうんじゃないかな、なんて思う訳です。
もちろん、どうせ聞くなら上手な演奏、どうせ読むなら絵の上手いマンガ、
どうせ飲むなら当たり外れのない果物が欲しい訳で、
製品化する、サービス化する事は、人間の出来る素敵な能力の一つだと思いますが、
きっと現代人は行き過ぎてきてるんだろうな、と思う次第です。
元来、私みたいなタイプは、整える時間に振りすぎると「アイデア」出しまくる余力がなくなって、ただの使えない引きこもりになってしまうので、
どっちかていうと、牛の乳みたいにジャージャー出してる方が楽でございます。
「なに?不味い?知るかー!
出るもんは出るんじゃい by 牛」みたいな(すんません)
まぁ何事もバランスが大事よね、っていう昨日の日記になる訳です。
だからなんだっていうオタク談義でした。