やれやれ。
テーマが壮大だったので、半日取り組んでしまいました。
取り組んでいる間は「ゴールあるの?」と半信半疑でしたが、
夕方休憩している間に肩甲骨のあたりの背骨がメキメキ広がり
「自由だ!」という感覚が起こりました。
体の各所に「敗戦国」という言葉を響かせて行きます。
・最初にお腹(第2チャクラ)に響かせました。
飢え、貧しさ、ひもじさ、どうしようも無さがお腹の中に真っ黒いボールとなって固まっていました。
焼け野原で飢えている人達に、真っ白いお米の光るお弁当をたーっくさん送り、みんな満腹になってもらって天へ手放して行きました。
しかしこの人たちは「敗戦国」という言葉とは直接関係がありませんでした。
飢えと貧しさ、獣と同じような生活を強いられるという自己否定感がありました。
・次に第三チャクラに「敗戦国」という言葉を響かせます。
ここには、想像を絶する大きな悲しみがありました。
同時に、世界の中で「飛び出してはいけない」といった自主的な同調圧力がありました。
日本が世界に嫌われないためには、自慢ばかりして出る杭になってはいけない、と防衛するのでした。
これは悲しみとワンセットです。
周囲を伺って世界各国から飛び出さないようにするために、
「自分らしくいてはいけない」と自分に言い聞かせているエネルギーがありました。
日本人らしい自己防衛法なのかもしれませんが、おかげさまで
私たちの世代はすでに「日本人らしさ」など良く分からない状態で生まれてきています。
第三チャクラ裏側、肩甲骨の間あたりに「日本人らしさ」のようなエネルギーがありました。
「礼儀正しくいたい」という
いかにも日本人ぽいA型気質な感覚として表れました。
世界の中でもいつでも
「礼儀は正していたい」という気質が、日本人の第三チャクラ背中側にあるようです。
・次に第六チャクラ、サードアイに「敗戦国」という言葉を響かせました。
すると、テレビから来ている情報がかなり私たちの奥深くに浸透しているのが感じられました。
毎年の平和式典の中継を見て
「今年はどんなごめんなさいを言うんだろう。。」と言う気持ちが
かなりサードアイに入っていました。
「敗戦国」と言う言葉は単なるラベルです。
と、ガイドさんに言われました。
敗戦国=私たちの全て
ではない、それは「乗り越えるもの」ではない、とガイドさんが言います。
戦は勝つか負けるかのもの。
負けた時は負け。
乗り越えるのではなく、それも含めよ、と言う事だと言われました。
「敗戦国」と言う言葉による悲しみを吹き飛ばせるエネルギーがあります。
それは「沖縄」と言う女性性でした。
「敗戦国」と言うラベルを本当に押しつけられたのは沖縄です。
沖縄にそのラベルを押しつけて、本土で直視しないため、このブロックに真の癒しが起こらないのです。
九州以南に広がる海洋の女性性は、本土に上がってこれないよう、自己否定感、自信のなさ、絶望感によって岩戸開きのように封じ込められているように見えました。
また、なぜかその後福島のエネルギーがやって来ました。
これは戦争と関係あるのか?と思いましたが、来てしまったので仕方ありません。
福島にまつわる大きな男性的な悲しみのエネルギーがありました。
「自己否定感」「失敗感」「完膚なきまでに敗北した絶望感」「挫折」
私たちの流した涙はとても測れるものではありません、と言うメッセージが来ました。
沖縄に関しては、その女性性のエネルギーが東京の方に浸透していくイメージワークをしてみました。
福島に対しても癒しのエネルギーが届くようにイメージワークをしました。
最後「敗戦国」と言う言葉を愛でくるんで抱きしめていたら、
それは愛を含んだタームになり、私たちの栄養素となり、体の中に浸透していきました。
数時間後、背中側肩甲骨の間あたりからメキメキと成長し
「自由だ」
と言う感覚が起こりました。
「戦争」を「忘れてはいけない」ではなく、
「ハートでちゃんと受けとめよう」が広がりを作る言葉です。
「ごめんなさい、許してください、許します、起きてくれてありがとう、受け止めます、感謝します」
「善も悪も、敵も身内も、支配も被支配も、皆がそれぞれの役割を演じました。」
「そして手放し、光へ返します。私たちはより深く広がります。」
以上を録音したので、動画アップしたいのですが、
なんせ長時間になってしまい、チャネリング状態で「ボソボソ、モソモソ」。
悲しみを出しているところとか誰が聞きたいものだろうか、と疑いますが、
せっかくなので次回アップしてみます。